唯結本

アステラス製薬による2011年度(第6回)アステラス・スターライトパートナー患者会助成を受けて、HSS 当事者やその家族の足跡を綴った冊子として、「ハーラーマン・ストライフ症候群を生きる-唯結の仲間と共に-」(著:村田栄弥子)を製作しました。 この内容をHTML形式で公開しますので、ぜひお読みになって下さい。

※2017年4月に、国の小児慢性特定疾病にHSSが「ハーラマン・ストライフ症候群」として加わったことを機に、当会名称(カタカナ表記)も「ハーラーマン・ストライフ症候群の会」から「ハーラマン・ストライフ症候群の会」に変更しました。

 

ハーラーマン・ストライフ症候群を生きる -唯結の仲間と共に-

ハーラーマン・ストライフ症候群の会 唯結(ゆいゆい)

著:村田 栄弥子(むらた えみこ)

はじめに

現在、ハーラーマン・ストライフ症候群(Hallermann-Streiff syndrome:HSS)について医学的側面からは、専門家の研究や論文発表によって、病気への理解を増進させる努力がなされ、また医学会ブース参加における当会の周知活動により、少しずつ知名度は得られてきています。

本誌では、精神的側面からの理解を得るために、5名の患者と2名の患者家族に取材協力を頂き、それぞれの貴重な体験談を中心に紹介させて頂きます。 患者や家族が、ハーラーマン・ストライフ症候群と診断されたが故に、抱えることとなった苦しい思いや辛い経験、また、患者自身の精神的・身体的な成長過程の様々をリアルな話としてまとめること。そして、色々な折り合いをつけながら精一杯刻んできた患者や家族の足跡を形にすること。

それは、この病気と共に生きていく私達の励みになるだけでなく、新たな患者とその家族にとって、光と道標になり得るのではないかと信じています。 さらに、臨床医に実情を知って頂くことで、告知や説明方法のお役に立てて頂き、患者とその家族との関わりに役立てて頂ければ幸いです。

 

◆ハーラーマン・ストライフ症候群(Hallermann-Streiff syndrome:HSS)の現状

発生頻度を含め、疾患の自然歴についてはほとんどわかっていません。例えば、当会設立メンバーの中には出産育児経験者がいますが、患者の出産については、学術的な専門誌にも記載がありませんでした。そこで沼部先生が2011年アメリカの遺伝医学雑誌に論文を発表してくだったという経緯があります。  また 専門として治療にあたる医師が極めて少ないのが現状です。

 

◆ ハーラーマン・ストライフ症候群(Hallermann-Streiff syndrome)とは・・・?

代表的な症例と問題点

(但し、その症状は多岐にわたり個人差があります)

① 低身長・バランスのとれた小さな体型 →発育・食事摂取困難による栄養管理・不定愁訴など内科小児科の問題、神経や筋肉症状・骨の形成など整形外科の問題

② 下顎骨の奇形や発育不全・バードフェイス →開口・開咬・咀嚼・先天性欠如(永久歯がないこと)・歯列不正(顎が小さい為、歯と歯のバランスが悪く重なって生えること。状態によっては『叢生』とも言う)など歯科口腔外科の問題、無呼吸症候群による呼吸器内科の問題、器官が狭いことによる誤嚥や麻酔科の問題

③ 小眼球・無水晶体症 →先天性白内障・緑内障など眼科の問題

④ 頭髪や体毛が乏しい →体が小さいこと・特徴のある容貌に加え頭髪が少ないことなどに伴う精神的な問題

 

◆ハーラーマン・ストライフ症候群の会「唯結(ゆいゆい)唯結」誕生秘話

2006年秋に放送されたテレビ番組に、ハーラーマン・ストライフ症候群が取り上げられた際、患者である小坂瑞恵さんと田中明美さんが紹介されていました。それを偶然見ていた私の息子が、「お母さんと同じ病気の人がテレビに出ていたよ!手紙を書いてごらんよ」と言ってくれたことがキッカケとなり、3人が知り合うことになりました。

同病の存在を初めて知った私達は、細かい説明がなくても同じ痛みを解り合える喜びと、もう独りではないという心強さを得ることができました。そして、「この病気についての情報が乏しい」という現状について色々と話し合うようになりました。

そんな時、「患者会の設立」を提案してくださったのが、私の主治医、山梨大学医学部社会医学講座教授の山縣然太朗先生でした。 山縣先生のご支援の元、当事者団体の発足にご尽力された経験のある、東京大学医科学研究所公共政策研究分野准教授の武藤香織先生にもご参加頂き、2007年8月京都にて、初会合が開かれました。

その後、先天性疾患・遺伝性疾患を専門領域とし、ハーラーマン・ストライフ症候群に詳しい、京都大学医学部附属病院遺伝子診療部准教授の沼部博直先生からのご賛同を得て、専門家3名と当事者3名の手弁当による会合は、遠距離の中、幾度も開かれました。

私達は、この会に「1人をしっかり尊重し、人と人との繋がりを大切にする」という思いを込めて「唯結」と名付け、2008年4月15日「ハーラーマン・ストライフ症候群(HSS)の会『唯結』設立準備委員会」を発足し、精力的且つ地道に活動を続け仲間を募り、2009年8月5日、正式な「患者会」として設立しました。

尚、海外でもこの病気独自の患者会は、確立されていません。

 

◆唯結が担う患者会としての役割

当会は、次のような活動を通して、ハーラーマン・ストライフ症候群患者とその家族の相談 窓口としての役割を担っていきたいと考えています。

☆ 患者本人の精神的、身体的な不安や悩みの共有、サポート

☆ 症例紹介、対症療法など医療に関する情報提供

☆ 専門医の紹介

患者とその家族に対する支援のあり方や、臨床医との連携に関する方策づくりの為、意欲的な活動をすることにより、ハーラーマン・ストライフ症候群の総合的理解の促進と責任あるピアサポートの実現をめざしています。

 

◆当事者の足跡

小坂瑞恵さん(40代)身長120cm

【HSSと診断された時期と本人が病名を知った時期】

生後、呼吸が止まる症状や、いびきが酷いなどの症状があり「余命わずか」と言われた。また、無水晶体症であることから「先天性白内障」と判り、容貌や症状を診た主治医が、医学書などから、「ハーラーマン・ストライフ症候群という病気であろう」と診断した。

就学する頃、母親から病名を教えられ「自分の身は自分で守れ!」と教育された。 近所の子供達にいじめられた時は、病名や特徴などを知っている限り説明し反撃していた。

【治療・手術歴と経緯】

・歯科治療
顎が小さく、歯が前後に重なって生えてきていたので、中学3年の時、歯の矯正手術を受ける為、手術室に入ったが、麻酔の管が入らず手術を断念。その後1年ほどかけて外来で矯正治療をした。現在歯は生え変わっているものと乳歯のままのものがある。

・眼科治療
20代半ばで緑内障を発症し片眼失明、点眼薬による治療と経過観察を継続している。

・神経内科治療
30代前半、手の痺れや首の痛み、頭痛などの症状に苦しみ、検査の結果神経が細いことによる「頸椎症」と診断され治療中

・呼吸器内科治療
40代に入り、くも膜下出血・脳梗塞等の大病を患い、長期入院中に睡眠時無呼吸症候群であると診断され、治療を開始。

【幼少期から思春期】

小学校6年生で身長が1m位だったので、電気のスイッチを下に付けてもらったり、高い椅子を用意してもらったり、生活に不便がないように親が工夫してくれていた。

親の考えで、一般の幼稚園に通園し、就学についても特殊学級(養護教室と弱視教室)のある一般小学校に入学した。 弱視教室から普通教室に行く事もあり、その度に酷いいじめはあったが、わめき散らして抵抗したり、先生に言いつけたりしていたし、友達もいたので耐えていられた。

中学にも弱視教室のある一般の学校はあったが、他の生徒との身長差がある為、事故が起きる可能性を指摘され、盲学校中学部に入学した。

その頃から、「自分が将来どうなってしまうのだろう」という事や「生理がくるのだろうか」と不安で悩むようになった。

【選んだ進路】

高等部に進み、その先の進路については、一般企業への就職を考えるようになった。 公務員試験は、受験に失敗したので、次に障害者向けの職業訓練校に進むことを考えた。最初は「前例が無い」と断られたが、諦めず説得を繰り返し、職業訓練校に入学した。1年間頑張り、簿記などの資格を取り、一般企業に就職をした。

【社会生活】

職場の雰囲気は良く、6年位(19歳~26歳まで)勤めたが、緑内障を発症し退職した。 静養した後、新たに一般企業への就職を果たしたが、2年ほどで失業。今度は手に職を付けようと考え、三療の専門学校に入学した。

在学中に結婚もして順風満帆に思えた矢先、頸椎症を患い寝たきり状態が続いた。少し回復した頃「三療の勉強は身体に負担がかかりすぎる」と医師から言われ、学校を辞めた。

それからは、縁あってテレビ番組の取材をうけたり、患者会の設立に奮闘したり、パートをしたりと慌しい日常を送っていたが、突然の大病に倒れ長い入院とリハビリ生活を経て、現在は福祉と夫のサポートを受けながら生活している。

 

Y.Iさん(女性40代)身長146.8cm

【HSSと診断された時期と本人が病名を知った時期】

生後3ヵ月で白内障の手術を受けた時に診断された。小学校5年生で盲学校に転校した時、病名を聞いたが理解できず「緑内障と関係があるのだろう」という認識だった

【治療・手術歴と経緯】

・歯科治療
最初から生えていない歯や乳歯が抜けた後、永久歯に生え変わらない為、現在下半分の歯がないうえ、噛み合わせが合っていないので、食事の時舌や口の中に歯が当たり口内炎になりやすい。開口が困難で治療が上手くいかず、入れ歯等の処置が難しい。

・眼科治療と手術
白内障の手術両眼(生後3ヵ月)緑内障の手術両眼(小学校4年生) 麻酔の切れが悪く、緑内障の手術後とても苦しい思いをした。中学・高校の頃は殆ど視力がなく、高校を卒業し、間もなく失明した。それまで続いた目の痛みから解放されたことにより、「失明したことを受け入れ、これからの人生をしっかり生きていこう」と思えた。

・婦人科手術
卵巣腫瘍摘出手術(42歳)

【幼少期から思春期】

一般の保育園に通園していたが、引っ込み思案で、人前に出ることが出来なかった。 1年生から4年生まで一般の小学校に通学したが、見て真似ることが出来ず、周りの皆が出来る事(リボン結びや牛乳ビンの蓋を開けることなど)が出来なかった。 また、頭の天辺の髪が薄かったことから「カッパ」とからかわれたり、目のことや体格好のことでいじめられたりしていたが、何も言い返せずに過ごした。5年生で盲学校に転校した時はホッとした。

【選んだ進路】

中学3年生の時、早く自立する為にはどうしたら良いか考え、「家政科」のある盲学校を選び進学、1人で日常生活が出来る術を身に付けた。

高等部を卒業後、リハビリセンターにて3年間、三療を学び資格を取った。この職業が好きだったので、できれば続けたいという思いはあったが、体力的にその道で働くことが難しいと自己判断し断念。職業訓練センターに入り電話交換の勉強をした。訓練終了後、電話交換士として一般企業に就職した。

【社会生活】

社会に出てまず直面した厳しさは、勤め先が決まっていても、全盲の女性が1人で暮らすという条件では、貸してもらえる部屋がなかったことだった。不動産屋を何十件も巡り、ようやく理解ある不動産屋さんと巡り合い部屋が借りられた。

就職先は、障害者雇用が初めての会社であったこともあり、何かにつけて「目が悪い人」と 言われ、同僚からの嫌がらせも酷かった。通勤も体力的に辛く、結局8ヵ月勤めた後ドクターストップにより1年半休職し、そのまま退職

現在は福祉のサポートを受けながら、1人暮らしを続けている。

 

石田全代さん(50代)身長133cm

【HSSと診断された時期と本人が病名を知った時期】

20歳の時、緑内障の手術を受ける為の術前検査で「ハーラーマン・ストライフ症候群」であると初めて聞いた。病気についての説明はしてもらえなかったが、「子供の病気」について書かれている本を読み理解した。

【治療・手術歴と経緯】

・歯科治療
生まれた時に上前歯が2本生えていた。その前歯2本だけ生え変わって永久歯だが、他は生え変わっていない。開口困難で、治療の時に困る。 

・眼科治療と手術
白内障の手術両眼(生後6ヶ月)、小学校5~6年生の頃緑内障発症、点眼等による治療を受けていた。20歳の時から緑内障の手術を何度も受け続け、25歳~26歳で両眼を摘出。このことにより、眼圧上昇による激しい痛みからの解放と「いつ失明するのか?」という恐怖からの解放を得られた。今は義眼の検査などで眼科に通院している。

・呼吸器内科治療
昔は横になって眠る事が出来ず、座って睡眠をとっていた。10年程前に酸素の検査を受け、無呼吸症候群であると診断され治療を始めた。寝る時に酸素マスクを使うので煩わしいが、横になって眠れるようになった。

【幼少期から思春期】

幼稚園は一般のキリスト系幼稚園に通園していた。目が悪いので、ハサミなど危険な道具の使用を禁止されていたが、運動会やクリスマス会のキャンドルサービスには、皆と同じように参加させてもらっていた。

就学前の検診で親が呼び出され、小児科の先生から盲学校への入学を勧められた。遊びの中で他の子との違いは感じていたものの、目が不自由だという自覚がなかったので、近所の友達と違う学校に行くことは不満だった。盲学校に入学してからは、「自分が目の不自由な子を助けているのだ」と思うことで、幼いなりに納得した。

高等部の頃、目の状態が悪く辛い時期でもあったが、進路や就労について悩んでいた。

【選んだ進路】

児童福祉に関わる仕事をしたかったので、大学受験をしたが、児童福祉科では受け入れてもらえず、社会福祉科に入学した。そして独学で勉強し、個人的に保母試験を受けて資格を取得した。

子供を預かる時、目で見て判断することが多い中、自分はその役割が果たせない為、就職は厳しく、ライトハウスで正規雇用してもらうまでに10年かかった。その間アルバイトとして仕事をさせてもらいながら、母親のグループカウンセリング分野に自分の役割を見出した。

【社会生活】

実家から通勤しているので、日常生活で特に困る事はないが、リュウマチで足が不自由なので、外出時の階段やトイレに困っている。

 

田中明美さん(40代)身長137cm

【HSSと診断された時期と本人が病名を知った時期】

中学生の時、学校の書類に病名が書かれていることを知り、自分が何かの病気だとは思っていた。親からは何も教えてもらえなかったので、20歳の頃、担任教師や眼科医に協力をしてもらいながら自分で調べた。

【治療・手術歴と経緯】

・眼科治療と手術
白内障の手術両眼(1歳半)、緑内障の手術右眼(小学3年)この時、手術はしたものの手遅れで右眼失明。小学校高学年の頃、自転車事故で涙腺を切り繋げる手術をした時、全身麻酔を使い呼吸の戻りが悪かったことから、全身麻酔を使う時には注意してもらうようになった。 その後、左眼の緑内障手術、右眼の眼圧上昇を抑える為の緑内障再手術。

・呼吸器内科治療 妊娠した時、体重の増加がキッカケとなり、無呼吸症候群が発覚。治療を2年位続け、落ち着いてきたので、自ら治療をやめた。

・産科手術 26歳の時、妊娠・帝王切開により出産

【幼少期から思春期】

特殊学級がある一般の保育園に通った。その頃、鉄棒で頭から落ち怪我をした。その部分の抜けてしまった髪の毛が今でも生えてこない。

小学校に入る前、親から「盲学校に行きたいか」と聞かれたが、家から遠いことを理由に嫌がり、一般の小学校に入学した。 特にいじめられる事はなかったが、眼の痛み等、教師から理解されない事が多かった。

中学は盲学校に入り、気持ちが楽になった反面、一番視力があったことから、何をやっても評価してもらえなくなり、嫌な思いもした。

他のことは、悩んでも仕方がないと思っていたが、外見のことは気にしていた。特に髪が中途半端なのが嫌で、剃れば増えると思い丸坊主にしたこともある。

【選んだ進路】

漫画家・声優・保母など夢があったし、三療はやりたくなかったので、専攻科に進むことは抵抗したが、親から「一人で生きていく為に手に職をつけろ」と説得された。

【社会生活】

21才で就職したが、体力的に辛く「この仕事に向いてない」と思っていた頃リストラされた。 その後、25歳の時に結婚をして、26歳で妊娠、帝王切開で出産した。 29歳で離婚が成立してからは、子供との生活を第一に考え暮らしている。

これまで周りとの意識の違いや誤解が多く辛かったことや、治療を受けようとする時、HSSということで、たらいまわしにされたり、拒否されたりと嫌な思いをした経験から、自分のサイトを立ち上げた。

 

K.Bさん (女性40代)身長145cm

【HSSと診断された時期と本人が病名を知った時期】

生まれた直後、ミルクが肺に入り1歳位まで入院していた。その間、白内障の手術を受け たことから、小児科の先生が文献を調べ「ハーラーマン・ストライフ症候群ではないか?」と診断し、親は「7歳までは生きられないでしょう」と説明されていた。 病名が難しく覚えられなかったので「自分は特殊な病気」ということだけ理解していた。

【治療・手術歴と経緯】

・歯科治療
歯は全部生え変わったが口の中が狭い為、歯並びが悪く、前後に二重に生えたりしている 開口困難で治療が大変】

・眼科手術
白内障の手術両眼(1歳までの間)】

・外科手術 
中学生の時、胸に腫瘍が出来、両胸の1部を残して切除】

・婦人科手術
  33歳の時、チョコレートのう腫で卵巣を片方取った この時の術前検査で、麻酔科の先生から「喉が狭く、麻酔が切れなかった時に命の保障 が出来ないので、全身麻酔は止めたほうがいい」と言われ、局所麻酔で手術を受けた。】

【幼少期から思春期】

一般の幼稚園と京都ライトハウスのあいあい教室に通っていた。

就学前、親が教育委員会等に相談に行き、小学校で実施された適正検査により普通学級で受け入れ可能と判断され、盲学校ではなく近所の公立小学校に入学した。

学校生活では、同級生からのいじめもあったが、親と担任教師が連携し解決してくれていた。また同級生と同様の遊びについていけず、次第に周囲から無視されるようになり、勉強のように一人で出来ることを頑張るようになった。

頭髪がなく子供の頃から鬘をかぶっていたので、からかわれることもあった。

思春期の女性としては、お洒落や恋愛をしたい時期もあり、髪の毛がないことはそういう意味でも辛いことだった。

【選んだ進路】

高校を卒業後、障害者に対して寛大と聞いていた大学に進学した。

在学中は、点訳のボランティア活動やアルバイト等も体験した。

大学4年生の時に、障害者雇用枠のある企業と公務員の採用試験を受けた。 最終的には勤務地の関係などにより、公務員を選び現在に至る。

【社会生活】

以前は、ソフトコンタクトレンズを使用し、手元を見る時はその上から眼鏡をかけていた。 3年くらい前から角膜に傷がつくようになった為、コンタクトレンズの装用を中止している。

現在は、近く用と遠く用の眼鏡を作り、シーンに合わせて装用しているが、コンタクトと比較し視野が狭く、特に近く用の眼鏡は、度数が高いため目が疲れやすい。

将来のことも考え、病院より案内があった際には、ロービジョン外来(舗装具の紹介や使い方をアドバイスし、中途失明した場合に社会復帰のサポートをする)の受診もしている。

◆その他主な共通点

食事について

  • 誤嚥などから母乳が上手く飲めず哺乳瓶の飲み口を調節して授乳
  • ミルクの飲みが悪く、栄養が足りないので、離乳食を早めに開始
  • 乳幼児期は、噛む必要がなく、飲み込みやすい物を食べていた(豆腐類・玉子焼き・おかゆ・魚卵各種・缶詰・麺類・プリン・チョコレートなど)必然的に偏食となり、同じ物ばかり食べていた。
  • 1度に食べる量が少ないので、何回にも分けて食事をした
  • 学校給食が苦痛だった

開口具合について

口を大きく開けた状態で自分の指が縦に2本(人差し指と中指)から2本半分入る程度

困ったことについて

社会に出るに当たり、洋服や靴の購入に困った。現在のように物やサイズが豊富ではなかった時代、オーダーで作ることが多く、時間的にも金銭的にも大変だった。

利用している福祉制度

障害者手帳(視覚障害)で補装具の申請(眼鏡・白杖・プレクストーク他)や交通機関の割引・医療福祉制度の活用・ホームヘルパー・ガイドヘルパーの派遣

 

◆ 患者家族の育児記録

N.Kさん(6歳の息子さんのお母様)

【HSSと診断されるに至った経緯】

生後すぐに呼吸困難で、大きな病院に移されNICUに入れられた。 白内障があること、ミルクの飲みが悪かったことに加え、大きな原因として、鼻や顎などの「顔の特徴」があったことから、生まれて数時間の頃から担当してくれていた小児科医が、生後20日で「ハーラーマン・ストライフ症候群である」と診断した。担当医から海外の資料を見せられ、そこには「150万人に1人の病気である」ことや「目の症状」が書かれていたが、あまりピンとこなかった。

【治療・手術の経緯と入院中の様子】

・小児科入院・治療
NICUに1ヶ月入院しており、その間ミルクが飲めなかったので、鼻から管を入れていた。鼻の管を抜いても大丈夫な状態になったので退院。

・眼科手術
白内障がみつかった時点で、少しでも早く手術を受けた方が良いと考え眼科を受診した。しかし眼球が小さすぎる為、眼科医から「小眼球は合併症の可能性が高い上に、早く手術したからと言って視力がどこまで伸びるか分からない」と言われてしまい、とてもショックを受けた。

眼球が大きくなるまで手術を待つことになり、生後6ヶ月と9ヶ月の時、白内障の手術を全身麻酔で受けたが、点滴に時間がかかり手術時間が長く、1回の入院が3週間もかかった。

【乳幼児期の身体的成長】

下2本の歯が先に生えただけで他の歯はしばらく生えてこなかった。  身体は小さく、1歳11ケ月で歩き始めた。

【栄養管理と食事】

乳児の頃、1日に飲めるミルクの量が550cc位で、1回の授乳に1時間位かかった。

生後4ヶ月の時、肝臓の数値が高くなり、小児科医に相談したところ「栄養が足りていない可能性がある」と言われ、再度鼻から管を入れ栄養をとることになった。

そのような中、生後9ヶ月の頃から、離乳食を開始したが、全く食べずどうにもならない状況 に焦り、生後10ヶ月の時から、療育センターで月2回のリハビリを受けていたが、進展は得られなかった。

2歳から療育センターの通所施設に通い食べる練習をしたが、スプーン1杯か2杯しかすすまなかった。水分は口から飲めるし内蔵にも問題はないので、 STの先生にも小児科医にも食べられない原因は分からないと言われた。

管が抜けてしまうと、入れ直す時に痛みを伴うので、本人も嫌がるし大変だった。管を入れなくて済むように、本人も何とか口から食べようと努力していたが、体が食べ物を受けつけず、仕方なく管で栄養を取る生活を続けていた。

平成23年4月から、障害のある赤ちゃんを専門に治療している指圧師の所に通い始めたところ、夏頃口から食べられるようになり、その年の11月(5歳2ヶ月)完全に鼻から管を取り生活出来るようにまでなった。

【教育について悩んでいること・工夫していること】

0歳から盲学校の教育相談を受けていた。

鼻から管が入っていることと、体が小さいことで、受け入れてくれる幼稚園が限られていた。盲学校の幼稚部への入園も視野に入れ考えたが、集団の中に入れたかったので、一般の幼稚園に決めた。

就学前の市の検診で「特別支援が必要」と判断された。「集団の中」ということを考え、支援に力を入れている一般の小学校にするか、「マンツーマンで本人のペースに合わせた教育」を考え盲学校にするか、どちらが子供にとって良いのだろうかと随分悩んだが、やはり「子供の伸ばせるところをしっかり伸ばしてやりたい」という気持ちから、盲学校への入学を決めた。

 

A.Hさん(8歳の娘さんのお母様)

【HSSと診断されるに至った経緯】

生後3ヶ月の時、地元の病院で白内障の手術を受けたが、経過が悪く東京の眼科に通院 することになった。そこで眼科医に「ハーラーマン・ストライフ症候群ではないか?」と言われた。呼吸器の医師からもHSSの疑いを指摘されたが、全く知らない病名だった事と詳しい症状を教えてもらえなかったので、自分で調べはじめた。

2006年のテレビ番組を見て、衝撃を受けた。2歳8ヶ月の時、沼部先生に辿り着き、顎のレントゲンを撮ったり特徴を説明されたりして、HSSで間違いないだろうと言われた。

【治療・手術の経緯と入院中の様子】

・眼科治療と手術
生後3ヶ月で白内障の手術両眼、その後は東京の眼科で半年に1回通院

・小児科
1歳過ぎた頃から、発達の遅れについて診察を受けるようになり、半年に1回東京の病院に通院

・歯科治療
医師から「HSSで大事な事は、大きな口が開かないので虫歯にならないようにすること、目が悪いので耳を悪くしない事」と言われているので、月に1回歯の検診をしている。

【乳幼児期の身体的成長】

生まれた時に下の前歯が1本生えていた。1歳半で2本目(上の前歯)が生えてきたが、他の歯は2歳になってから生え始めた。奥歯が生え変わり永久歯が2本顔を出している。

1歳半から歩きはじめた。

【栄養管理と食事】

10ヶ月位から離乳食を始め、とろみのある物は食べていたが、途中からあまり量を食べなくなり止めてしまった。1歳4ヶ月までミルクを飲んでいたが、便の出が悪くなったことや、体が大きくならないことを小児科医に相談し、エンシュリアキッドを処方された。

それから現在に至るまで、エンシュアリキッドと水(またはスポーツドリンク)だけで栄養を摂っている。固形物が食べられるようになってほしいので、少しずつ工夫はしている。

【教育について悩んでいること・工夫していること】

入園や就学については、子供自身が楽しく過ごせること・安全安心な環境であることを第一に考えていた。

2歳から盲学校の教育相談を受け、月に1回通っていた。子供も楽しんでいたことや、マンツーマン体制で安心なので、盲学校を選んだ。

2009年4月に、児童相談所で検査を受け、知的障害があると診断された。 ゆっくりだったり、間違えたりすることはあるが、覚えるまで簡単な言葉で何回も教えている。 トイレと歯磨きは介助が必要だが、着替えや身支度など、出来る事は自分でするようになった。

 

◆ あとがきに代えて

最後に私自身のことについて書かせて頂きます

村田栄弥子(40代)身長143.7㎝

【HSSと診断された時期と本人が病名を知った時期】

生後、大泣きしては呼吸が止まり、授乳では誤嚥するので、頻繁に救急搬送されていた私を育てるのは、とても大変だったようです。

生後8か月位から眼に異変が生じ、1歳4ヶ月の時総合病院の小児科を受診。眼科で手術を受けたのですが、そこでは白内障だけの診断でした。その後、いつまで経っても大きくならないことや、髪が生えてこないことを不安に思った母親に連れられ、知人から紹介された病院を受診。2歳の時にハーラーマン・ストライフ症候群と診断されました。

医師から患者の写真を見せられ、「この病気の子は皆同じような容貌をしている」ことや「成長できず長く生きられない」ことなど詳しい説明を受けた後の帰り道、絶望した母は私を道連れに、線路に飛び込もうとしたそうです。

子供の頃は、病気についての説明を誰もしてくれませんでしたが、「自分は眼が悪く、変な顔をしていて、早く死んでしまう病気」と幼い頃は思っていました。

【治療・手術歴と経緯】

・歯科治療と手術
生後3ケ月で下顎前歯2本が生えてきた。全体の歯の本数は少なく、親不知を入れても永久歯は数本、大半は乳歯のまま生え変わっていない。

極端に下顎が引っ込んでいる開咬の為、 開口困難もあり、歯科治療が難しかったことから、アパタイトブロック併用オトガイ形成術と下顎枝矢状分割術を応用した、顎を前に出す手術を受けた(20歳)・上顎前歯部インプラント施行(20歳)・数年後、下顎前歯部にもインプラント施行。

このことにより、歯科治療・食事面だけでなく、容貌の改善もあり、顔のことで人に笑われたり、心無いことを言われたりすることがなくなった。

・眼科治療と手術
白内障の手術両眼(1歳半~2歳)・右眼ブドウ膜炎発症(18歳)・右眼水ほう性角膜症により 全層角膜移植術・前部硝子体切除術施行(36歳)・右眼続発緑内障発症により緑内障手術(36歳~42歳で失明する時までの間に計7回)その他右眼には・結膜縫合術・結膜移植施行・強膜弁の融解、濾過胞からの漏出により強膜弁縫合術施行・濾過胞からの房水漏出とMMCの使用により融解した強膜弁閉鎖の手段としてテノン嚢結膜片自家移植術施行をしている。現在は左角膜の治療と右義眼の検診で通院中

・整形外科治療
成長期を境に偏平足・骨端炎による足の痛み・腰痛・肩こり・斜角筋症候群に苦しみ、長期治療でも改善は難しく現在も後遺症がある。

・耳鼻科治療と手術
食物アレルギー発症(20歳)・鼻炎による粘膜浮腫と骨の湾曲により鼻通りが悪くなった為、浮腫部と湾曲部の骨の切除術(32歳)

・産科手術
21歳と25歳の時、妊娠・帝王切開により出産

【幼少期から思春期】

幼稚園も小学校も一般の所に通いましたが、あまりのいじめの酷さに、幼稚園の頃から集団に入ると声が出ず、一言もしゃべることが出来なくなりました。

小学4年生で盲学校に転校した時、いじめからの解放と勉強をさせてもらえる環境に感動しました。でもそれと引き換えるようにして、家庭の事情もあり、私は児童福祉施設に入所することになりました。

9歳から18歳まで施設で育った私は、周囲から「早く死ぬ病気なんだから・・・」とか「結婚も出産も就職も出来ない社会のお荷物だ」などと言われ戸惑ったり、容貌を笑われ差別されることに傷ついたり、心の問題を抱え闘うように生きていました。 また、どうしようもない体調の悪さをいくら訴えても、医師や周りの大人に全く理解されないことに、悩み諦めすら感じていました。

そんな私は17歳の春、当時新設された大学病院の小児科遺伝外来に、東大からいらしていた日暮先生と出会いました。 最初の受診で日暮先生は「こんなに大きく成長できた貴方は、この病気の患者さんの希望です」と穏やかな笑顔で仰いました。その言葉は、自分の存在意義を見出せないでいた私の大きな支えとなりました。

それからは、医療への不信感が徐々に薄れ、私の日常が大きく変化したように思います。

【選んだ進路】

高校3年生の時、「このまま居心地の良い盲学校にいたら自分が駄目になる」と思い込んだことと、児童心理学を学び、非行に走る子供や心に傷を持つ子供に寄り添う仕事につきたいと考えていました。

でも実際にその道での就職が難しいことを懸念した先生方に猛反対され、随分悩んだあげく、心理学を学ぶことは諦め、就職できる可能性がある社会福祉の専門学校に進学しました。

地元から遠く離れ、頼れるものは自分だけという厳しい環境の中で、勉強とボランティア活動に明け暮れ、充実した2年間を過ごしました。

【社会生活】

地元に戻っての就職活動は困難の嵐でした。福祉の領域でありながら、職員として障害者を雇用する態勢がない所が多く、面接では驚くような暴言を受けることもありました。

一旦就職を諦め、顎の手術を受けた後、ライトハウスに一般事務の嘱託として採用されましたが、1年程働いて結婚退職しました。

そしてHSS患者の出産例がないと言われる中、日暮先生が紹介して下さった信頼できる産科医の元、安心して2人の子供を出産することができました。

体力のない私にとって育児はとても重労働で、原因不明の高熱を出したり不定愁訴に悩まされたりしましたが、子供達は元気で明るく育ってくれました。

そして私の診察は、日暮先生から山縣先生が引き継いでくださり、私が生き易く在る為のサポートをして頂いています。ほかにも、長い間ずっと親身に診てくださっている歯科や眼科の先生方に護って頂き、今私は本当に恵まれていると感謝しています。

これまで痛い思いや苦しい思いを沢山してきました。だからこそHSSと診断された子供達が、これから先、そのことで苦しまずに成長していけることを心から願います。

 

◆メッセージ

第1回総会 顧問挨拶より

山梨大学医学部社会医学講座 山縣然太朗

この度、ハーラーマン・ストライフ症候群(Hallermann-Streiff syndrome:HSS)の患者様とご家族の会が設立、おめでとうございます。とても感慨深く、うれしく思います。

設立の中心メンバーの一人である村田栄弥子さんは、私の恩師である日暮眞先生が診ておられた方です。10年ほど前にご紹介をされ、以来、折に触れて健康支援をしてきました。村田さんは初めての外来時に、「これまで日暮先生に診ていただいていたことが、人生の大きな支えでした」と言われたことを今でも思い出します。日暮先生が、患者や家族との信頼関係を大切にして、その折々で患者様に的確な医療をされてこられたことの答えなのだと思います。私など足元にも及びませんが、村田さんの言葉は私自身の遺伝医療の支えになっています。

村田さんは、「お母さんと同じ病気の人がテレビに出ていたよ」とのご子息の言葉がきっかけで、小坂瑞穂さん、田中明美さんと出会い、そのことをうれしそうに私にご報告されました。ひとりではないことや同じ痛みを共有できる仲間ができたことなど、いろいろな思いがそこにはあったのだと思います。それから数年を経て、今日この日を迎えられました。この会が、彼女たちと同じ健康の悩みを抱えながらも前向きに生きる方々の情報交換や励ましの場になることを切に願っています。

 

京都大学医学部附属病院 遺伝子診療部  沼部 博直

私がHallermann-Streiff症候群(HSS)の方と出会ったのは1972年,東京郊外のバスの中でお見かけしたのが最初です.その10年後,都内のコンピュータ雑誌の編集部でアルバイトをしていた時,プログラムを持ちこんできた超一流高校の生徒さんも今から思えばHSSの方でした.その後,小児科医となり先天性疾患・遺伝性疾患を専門領域としてから,2000年に縁あってoculo-mandibulo-facial(眼・下顎・顔)症候群としてHSSの総説を書く機会を得ました.その後,当時在籍していた東京医科大学の遺伝子診療室に患者さんが訪ねて下さるようになりました.

2005年に京都大学に転勤後,2006年9月22日に放映されたテレビ東京の「輝く命Ⅱ」で HSSについてのお手伝いをした直後,小坂さんと田中さんとお会いしてお話をすることが出来ました.2007年10月9日に放映されたTBSテレビの「いのちの輝きスペシャル 難病と闘う子供たち3」でも HSSが取り上げられ,この際には京都大学医学部附属病院でお子さんの診察と診断をさせていただきました. 村田さん,小坂さん,田中さんを中心に山縣先生・武藤先生の絶妙なコーディネイトのもと,話合いを繰り返し,ついに患者会の総会開会に至りましたことを心よりお祝い申し上げます.私も精一杯,活動を援助させていただければと存じます.

 

東京大学医科学研究所公共政策研究分野 武藤香織

HSSの会「唯結」の第1回定期総会の開催、おめでとうございます。これまでの長い設立準備のご努力が実を結ぶ日をお迎えになりました。心からのお祝いを申し上げます。

私は、まだ「唯結」がその名前を得ていない頃に、山梨大学の山縣然太朗先生よりご紹介をいただいて、当事者団体を発足するための相談に乗らせていただくことになりました。私自身、これまで特定疾患や障害の団体とは少なからずご縁がありましたが、不勉強なことに、初めてHSSと共に生きる皆様の存在を知りました。目の障害をはじめ、心身の不調に伴って生じる様々な生きづらさを教えて頂きました。しかし、何しろ明るく前を向いて、数少ないと予想される仲間を全国からたぐり寄せ、次世代に何かを残そうとするお気持ちの強さに感銘を受けました。

これから「唯結」の輪は着実に広がっていくと思います。壁にぶつかることもあるかもしれませんが、最初に仲間と出会えた喜びと感動がたくさんの人々に引き継がれていきますように願ってやみません。

 

◆2013年現在の唯唯役員紹介(50音順)

小坂瑞恵(設立メンバー) 副会長
田中明美(設立メンバー) 副会長
本多晶子 事務局長
村田栄弥子(設立メンバー) 会長

 

◆アドバイザー紹介(50音順)

慶應義塾大学 医学部 臨床遺伝学センター
小崎健次郎

独立行政法人 国立成育医療研究センター
小崎里華

京都大学 医学部付属病院
沼部博直

東京大学 医科学研究所 ヒトゲノム解析センター公共政策研究分野
武藤香織

山梨大学 医学部 社会医学講座
山縣然太朗

慶應義塾大学 医学部 眼科学教室
結城賢弥

 

◆資料

Hallermann-Streiff症候群について 京都大学医学部附属病院 沼部 博直

はじめに

Hallermann-Streiff(ハーラーマン・ストライフ)症候群(以下HSSと略します)は,生まれた時からあるいは乳児期早期に発症する白内障(はくないしょう),左右の小さな眼球,特有の顔つき,小さな下顎(下あご),低い身長(手足が短いのではなく,体全体が小さい),歯の異常,薄くまばらな髪の毛などを特徴とする症候群です.特徴的な症状が眼,下顎,顔に出ていることから,それぞれの英語表記をつなぎ合わせてoculo-mandibulo-facial(眼・下顎・顔)症候群と呼ばれることもあります.

ここで言う「症候群」とは,複数の症状を呈する病気に対する名称です.その病気の原因や,病気の起こる機序が同じで,それによって体の異なった場所にさまざまな症状の出てくるものを指します.といっても,HSSの原因はまだ定かではありません.しかし,おそらく体のさまざまな箇所を形作るために働いている遺伝子に何らかの変化が起きていることにより,発症しているのではないかと推測されています.

 

診断の歴史

HSSと思われる最初の医学論文報告は1893年にAubyによって行われています.患者さんは16歳の少年で,頭の形が変形しており,髪の毛の一部がはえていませんでした.さらに生まれつき両方の眼に白内障があり,視力を失っていました.頭の写真は論文に掲載されていますが,正面を向いた顔写真や全身の写真は掲載されておらず,顔つきや身長などは明らかではありません.

その後,1911年にBergmeisterがひとり,1943年にSchondelがふたり,1946年にMoehligがひとりの類似した症状を持つ方を論文に発表しています.1948年にはHallermannが特有の顔つきと先天性白内障を合併した症候群としてふたりを,1949年にはMarchesaniがふたりを,1950年にはStreiffが眼の異常に顔や下顎の異常を伴った症候群としてひとりを報告しており,以後,症例の報告が毎年のようになされるようになりました.

Françoisの論文の掲載された雑誌(左)とそのページ(右)

図1: Françoisの論文の掲載された雑誌(左)とそのページ(右)

1958年にベルギーのゲント大学眼科のFrançoisは1957年までに報告の行われた21例の症例と自身が診療したひとりの患者さんの症状の詳細な検討を行い,これらが同じひとつの新しい症候群ではないかと考え,21ページにわたる論文を眼科の医学雑誌に投稿しました(図1).この論文の中で,FrançoisはHSSの診断を行うための医学的指針となる診断基準を提言しました.これ以降,HSSはこの基準に基づいて診断されるようになりました.

本来であればHSSはこれ以降,François症候群と呼ばれても良かったのかも知れませんが,他の眼の異常を来す症候群で既にFrançois症候群と命名されているものがあり,François以前にこの疾患概念の確立に寄与したHallermannとStreiffの名を冠して,Hallermann-Streiff(発音記号では [hálǝrmaːn strέif])症候群と呼ばれるようになりました.どのような症状に着目するかで症候群の名前もさまざまで,髪の毛の薄い状態も含めたoculomandibulodyscephaly with hypotrichosis syndromeという名称で呼ばれることもあります.

頻度と男女差

1991年にCohen Jr. がそれまでのHSSの診断・研究成果をまとめた総説を発表していますが,その時点で150例を超す報告が行われていたと書かれています.現在では200名以上の方が診断されていると推測されます.頻度は数百万人にひとりとも言われていますが,1980年と1990年に東京で行われた日暮らの調査ではそれぞれ14,430人・27,472人の新生児の中でひとりがHSS症候群であったと報告されていますので,数万人にひとりくらいの頻度なのかも知れません.

患者さんの数は男性も女性もほぼ同数で,大きな差は見られていません.

 

主な症状

HSSで見られることの多い症状を中心に順に述べて行きます.

【成長】胎児期から体重が軽く,生まれた時の体重も軽い傾向があります.身長も低くなりますが,手足の大きさと体のバランスはとれており,全体的に小柄となります.生まれた時の身長があまり低くなくても,その後の成長がゆっくりとなるため,最終的には45~68%の方がかなり低い身長となると言われています.

【頭部】額やこめかみの部分がやや盛り上がる形で,頭の幅が頭の前後方向に比べて長くなります.すなわち,幅広い頭になります.この頭の変形はほぼ全員に見られるとされています.母親のおなかの中にいる胎児は,頭の骨同志はまだ繋がり合っていません.生まれた後も,赤ちゃんの時期は,みな頭の頂上からやや前寄りの部分に大泉門と呼ばれる骨の出来あがっていない部分や骨同志のすきまが残っています.以後,頭の骨は1~2歳までに骨の成長に合わせて徐々に繋がっていくのですが,HSSではこのスピードが遅くなるとされています.また,鈴木らの報告によればHSSでは15%くらいの方で精神・神経面での発達がゆっくりになったとされています.頭以外の骨では,頬の骨や顎の骨の形が小さいため,顎がやや後ろにずれる形になり,顎全体も小さくなります.

【顔】鼻の中には軟骨があり,鼻を形作っていますが,軟骨が小さめであるため,鼻の幅が狭く小さくなり,鼻先が尖ったようになります.これは年齢が進むにつれ目立つようになります.口も幅が狭く上顎の幅も狭くなります.歯も本数が少なくなる,あるいは生まれつき歯が生えることがあるなど,HSSでは80~85%の方で歯の生え方が変わってきます.7割くらいの方では鼻や頭などの皮膚が薄く縮んだ感じになり,赤く細い波形のスジ模様が出てくることもあります.8割くらいの方は毛髪・眉毛・睫毛などが薄くなり,毛の色も明るい色調になります.

【眼】8割前後の方が生まれつき両側の眼が小さく,81~90%の方に白内障が見られるとされています.白内障の程度はさまざまで,まれにですが自然に良くなることもあることが報告されています.他に眼が左右に素早く揺れるように動く眼振と呼ばれる症状(32~45%)や,片目の位置がもう一方の眼の見ている方向とずれる斜視(33~37%)と呼ばれる症状も出ることがあります.

 

X線(レントゲン)検査

HSSの症状には,X線(レントゲン)検査ではじめて分かるものも少なくありません.頭の形,顎や頬骨の大きさ,手足の骨や背骨の状態などを検査します.骨に大きな異常のある率は10~50%と言われています.

 

その他の症状

主な症状の項目にはHSSの方の半数以上に見られる症状を中心に挙げましたが,稀ではあるものの注意が必要な症状もいくつか報告されています.性器の異常が10~12%,生まれつきの心臓の病気が2~9%,耳の異常が9%,血液の異常が7%あると報告されています.いずれも,医師の診察や比較的簡単な検査で診断できるものです.けいれんの発作なども報告がありますが,このような神経系の異常はまれであるとされています.

 

どのようなことに気をつけるか

鼻や口,顎の形が異なることから,のどが狭くなってつまりやすくなることが分かっています.このため,いびきをかきやすく,呼吸もしにくくなる傾向があり,寝ている間に一時的に呼吸が止まる睡眠時無呼吸を起こしやすくなります.睡眠時無呼吸を繰り返すと,心臓にも負担がかかります.従って,呼吸の状態には十分に注意する必要があります.また気管支炎や肺炎ものどが狭いためにこじれることが多いため,かぜなどでも早目の治療が必要となります.最近では睡眠中の呼吸の状態を調べる器械もありますので,必要であれば耳鼻科などの睡眠外来を受診して検査をすると良いでしょう.

眼の症状にも十分な注意が必要です.白内障の手術後の緑内障などの合併も少なくありませんので,定期的に眼科にかかる必要があります.

他に骨の形の変化などによって関節に無理がかかるなどして,さまざまなつらい症状が出る可能性もあります.全身の健康状態を調べるため,成人期以降でも年に1回は定期的に医師の診断を受けるようにすると良いでしょう.歯の問題もありますので,歯科にも定期的にかかって診察を受けるようにして下さい.

 

おわりに

HSSの原因はまだ分かっていません.それぞれの患者さんのご両親がHSSであることはないようですので,親からの遺伝ではなく,患者さんが生まれる前の卵子や精子が作られる時に遺伝子の配列に変化が起きる,すなわち突然変異が原因ではないかと考えられています.一方で患者さんの遺伝子には変化が起きていますので,患者さんのお子さんの半数には変化した遺伝子が伝えられてHSSになる可能性がある常染色体優性遺伝形式を取るのではないかと推定されています.このような遺伝に関しての心配や不安の相談には,病院の遺伝子診療部や遺伝相談室などが対応しています.

また,体が小さなことや容貌,場合によっては特徴的な声などで悩まれている方もおられることと思います.ストレス外来や心理相談室などの精神科医や心理士が相談に応じてくれると思いますので,訪ねてみられてはいかがでしょうか.

最後にHSSの皆様の健やかな生活を心より祈念申し上げます.

 

参考にした論文・書籍

1) Cohen MMJr: Hallermann-Streiff syndrome: a review. Am J Med Genet 41:488-499, 1991.

2) François J: A new syndrome: dyscephalis with bird face and dental anomalies, nanism, hypotrichosis, cutaneous atrophy, microphthalmia and congenital cataract. Arch Ophthalmol 60:842, 1958.

3) Goodman RM, Gorlin RJ: Oculomandibulofacial syndrome. In The Malformed Infant and Child. pp290-291, Oxford Univ Press, New York, 1983. (図2,3)

4) Higurashi M et al: The birth prevalence of malformation syndrome in Tokyo infants: a survey of 14,430 newborn infants. Am J Med Genet 6:189-194, 1980.

5) Higurashi M et al: Livebirth prevalence and follow-up of malformation syndromes in 27,472 newborns. Brain Develop 12:770-773, 1990.

6) Jones KL: Hallermann-Streiff syndrome. In Smith’s Recognizable Patterns of Human Malformation. pp110-113, Elsevier Inc, Philadelphia, 2006.

7) Suzuki Y et al: Hallermann-Streiff syndrome. Dev Med Child Neurol 12: 496-506, 1970.